細雪
ご無沙汰しました
体調云々ではなくて しばらくぶりに本読んでました
はじめはとっかかりやすい随筆物読んで 笑ったり考えさせられたりしていたんですが
この手のものは何冊か読んでるうちに 説教されてるみたいな気分になってくるもので..(笑)長編の「細雪」なんぞに手を出してみましたよ
きっと途中で投げ出すだろうと自分を疑ってたんですが 読み終えました
芦屋あたりが舞台で 会話が関西弁なんですが..昨年は縁あって京都弁とも大阪弁ともちょっと違うこの言葉で話すブログ友達とお逢いする事もあったせいか..なんとも心地よく響きましたね
「うん」を「ふん」というところとか 「何やのん」と「ん」がつくところが良い意味で悠長でいいですね
「こいさん」というのは聞いた事はありましたが末娘のことを呼ぶ時に限り使われるんですね
関西人のうちの夫も知らなかったので かなり限定されたところでしか使われないんでしょう
ダ行をヤ行にというのは関西弁の美しいところと常々思っています
「..だろうね」を「..やろね(な)」などというように..
語気が柔らかい

夫の言葉に考えることがあります
夫は最近ほとんど標準語で話します
数年前までは電話で滋賀の実家と話すときなどは関西弁に戻っていたのに そのうち一部分のイントネーションだけが関西を残すだけで 今はそれもなくなってしまいました
まったく惜しい..
だいたい子どもを叱るときでも とてもきつく感じて 「そんなふうに言わなくても」といつも私は彼を制するのです
それが何処から来てるのか 最近わかりました
関西弁を標準語に直すところで何か間違いがおきているのではないでしょうか?
あの少し気の抜けたような言回しが随分印象を和らげていたものを それだけが抜け落ちると全くえげつなくなるような気がします
「標準語で言うときは 言葉自体も優しいものに変えなくてはいけないし 声も小さめにして 語尾はとくに強く発音してはいけない」と提案したくらいです
関西弁だと「何してんねん そんなんしたらあかんやろ あほやなぁ」というのを
同じ感情で同じ顔で言っても「何してるんだ! そんなことしていいと思ってるのか! この馬鹿が!」..となっては 泣き出したくなる程恐いのです

っと..話を元にもどします
谷崎潤一郎と言う方は男性であるのに よくもまぁ あれほど 女性の気持ちを細かくとらえられるものだと感心しました
書かれたのが昭和18年〜23年 戦争を挟んで書けない時期もあって長い年月費やされたようです
妹達の縁談をまとめようとする次女幸子の視点から概ね書かれているのですが 全く今の時代背景と異なるとはいえ うなづける部分が多いのは私がこの歳になったからかもしれません
器量も才能も悪くないおっとり者の三女のなかなかまとまらない縁談を筋に現代的で奔放な末娘妙子があれやこれやおこす事件と絡めて 上流(落ちかかってはいるが)家庭の日常が描かれています
中流という方がいましたが この時代(戦争前の話として終わっている)で 女中を雇って 年に数回は長姉家族が大阪(確か)から移り住んだ東京へ出向いたり 着飾って歌舞伎や踊りを見に行ったり 
有名店で外食したり なんてことがどの家庭にもあったとは思えません

その地名や有名店が 実際にあったりするのもたのしい
関西方面はわからないけれども(吉兆がでてきたがそれが先頃問題になった吉兆かも不明) 東京がそうなので 多分ほとんどがそうなのだろうと思われます
東京では 歌舞伎座 上野の博物館や動物園 山手線..
資生堂で最新のパーマをかけに行ったとか..ミキモト(御木本)でプレゼントに真珠を買ったとか..疲れたのでコロンバンで休憩したとか.. 

そう..このコロンバンにはついこの間まで北海道からでたことのない私も思い出があります
子どもの頃 だれかからコロンバンの あの濃い群青色と白との缶入りのクッキーが送られてきていました
缶には缶と同じ印刷がされた厚紙がかかっていてそこへ麻紐がかけられていた
幼い乍ら 特上の味だと感じたものです
いつ頃以来からか送られてこなくなってからはコロンバンを口にする事はなかったのですが あの味も少しこおばしいような香りもはっきりと憶えています
読んでいて無性にコロンバンへ行きたくなってきました
私は今それを食べてどう思うのだろう..

あのようなものを送って来る気の利いた親戚はどう考えてもいない
だれなんだろう...
というわけで確かめるべく母に電話してみました

母はコロンバンという名は憶えていなかったのですが わかってくれました
それは実家の真ん前に砂糖工場(ビート工場)があるのだけれども それを建てた建設会社のお偉方が(鹿島建設らしい)東京へ赴任してから 送ってきてくれていたらしいのです

なんだか 聞いてほっとしました
例えば札幌の伯父さんなどが 百貨店で買ってくれたものでなくてよかった
今は札幌のデパートにいけば 東京の有名店のものはある程度買えます
でも あの時代にそれでは愛想無しというもの
東京の物は東京にいなくては買えないのでなければつまりません
あの頃全く縁のなかった東京が 今ここで繋がったようでうれしい

そんなそれた楽しみ方もしながら 読み進めていく私でした
誤解を招かないように言わせていただけば 私はこの時代に生まれてはいないのです
もっとず〜〜〜〜〜っと後なんですよ!(〜が多すぎたかしらん?)
それでも田舎で遅れた暮らしをしていたり 周りがまだこの時代を引きずっていたせいで(母は昭和10年生まれ)少し理解できるところがあるわけです

たとえば 脚気
登場人物達が脚気になったとビタミンKの注射を打っていたりするのです
それも自宅で自分たちで打つのです
注射器(針)を消毒して薬液のアンプルを付属のガラス切りで切る様子は私もよく憶えています
病床の祖祖母に家族が打ってやるのを(脚気ではないですが)そばで見ていました
口が切れてパキと折った途端立ち上がる薬品の匂い...

また脚気というのも小学校の低学年ころまでは学校で集団検診がありました
膝をくんで椅子に座らされ 膝の下あたりをコンと小さな金槌のようなもので叩かれるのです
それで ピクンと上になった足が跳ね上がれば脚気ではない ということになります

その予防に「肝油」というものがありました
任意で学校斡旋で買い求めるのです
今のお菓子のグミのようなものです
動物を形どったプラスチック容器に入っていました
はじめの肝油はチョコレート味でした
まだ小学校へ上がる前の私は兄姉たち経由のその おいしい肝油を 親の目を盗んで 容器の中の全部を食べてしまったのです(本来1日1錠)
その晩 高熱をだしてうなされました

いえ 今もあります
食の細かったshoたろうにサプリメントとして今も与えています
「1日1個!」片言を話すようになった頃の彼の口癖でした

この間 この缶の裏の効能書きを読んでみたら
あれ?「ビタミンA とD」になっている!
成分は変わっているだろうと思っていたけれど「K」なんて表記はどこにもないのでした(笑)

当時の呼び名に関しても興味が惹かれます
表記もおもしろい
「ローゼマリー」「ペータア」というのは隣に住んでいたドイツ人の子どもの名
外国人も多くでてくるのは 土地柄のせいでしょうが
この話をモダンなものにしたかった意図も感じられます
「ステーキ」をビフテキとかいって あまりに古すぎて「ださ〜い」の域を遥かに超え美しく新鮮にかんじちゃったりします 

カメラを「ライカ」と呼んでるのがいいですねぇ
カメラ=ライカなんですよ
きやのん の関係者が苦笑いしそうです

このライカで美しい姉妹を写真に撮るわけです
「あとで着色したものを..」なんてかかれてますから もちろんモノクロでしょうが
色づけなんてできたんですね

そんなかんじで浮かぶ情景も美しく楽しめるかもです
私はあまり興味ないですけどね
美人というものは人の容姿に羨望もなければ 興味がわきませんから(爆))
映画やドラマにもなったくらいですから絵になるお話なのでしょう
しかしながらこの谷崎潤一郎と言う方のすごさは「心理描写」にこそあると思えてなりません
はじめにも言いましたが 細やかに女性心理をとらえてます
ひとつ例に挙げると
幸子が思いがけずそれとは知らず(少し気づいてもいた)旅にでて 流産してしまうのです
幸子は10もなる娘がいて しかしひとりしかいなかったので 大変このことを悔やみます
夫は妻に「もう気にせんでもええ それより返ってこのことで わたしは希望が持てたくらいや」と慰めます
そんな言葉にも癒えず 幸子は「この先 1年たてば あーこの子がうまれていたはずなのに..2年経てばもうよちよち歩き出しただろうか..7年経てば 学校に挙ってとこの先止まる事無く悔やみ続けるだろう」といつまでも涙が止まらないのです
そして話がずっと先へ行ってももふいにこのことが持ち出され夜中突然泣き出す幸子に
夫が声をかけると「あんた 今日や 今日があの子をなくした日や」となおさらに泣きじゃくる 夫はとうにそんなことを忘れていたというのに..時折こんなふうになったかと思えば 翌朝はケロリとしている..と夫の困惑ぶりが書かれています
このあたりは 本当にオンナってそんなふうなの と言いたくなります

随分前 ある有名男性作家の作品を読みましたが あまりに 女性を神格化しすぎていてあきれたことがあります
「ねぇねぇ おっさん!オンナってそんなに キレイなものでもないよ」と教えてあげたくなりました
まさに男の願望から書かれたオンナ達が登場するのです
この「細雪」を借りてきた日に書棚にその男性作家の本があって
「まったく女はわからない」というかんじの(正しくは忘れました)タイトルのものがあって
オッサンもやっと自分のことがわかってきたかと笑えましたが 谷崎とは雲泥の差です

このごろは 気持ちの襞をえぐって書くのは当たり前でしょうが この時代だとどうでしょうね
少なからず当時の読者は自分の自分でも気づかない裏側を まるで中の砂でも払うようにポケットをひっくり返された心地がしたのではないでしょうかね

...というわけで長い作品にあわせて長ったらしく感想など書いてみました
自分の記録として留めておきたいことをだらだらと連ねてみました
これ10年前ならたいくつで読めなかったかとおもいますが 割とさらさら読めたことで 歳をとるのも悪くないな と感じましたね

多分今だと当たり前のことも 当時は洒落た暮らしぶりと すご〜く憧れと羨望を持って読まれたのではないでしょうか

芦屋あたり..散策してみたくなりました
それより先に コロンバンでお茶してみなくては..^^

ここまで読んでくださった方があったらホントありがとうございますm(__)m
自分でも読み返すのが大儀でした(笑)


e0121710_12243617.jpgさて昨日shoたろうが紙芝居!と言って本を読んでくれました
始め絵をこちらへむけてくれたのに すぐに読み辛くなって 自分の方へむけてしまいました
変わらない絵をながめながら たどたどしいお話を聞く母
そのわりに 会話のところがやたら感情を込め過ぎていて笑えます

そんなときは ふと絵本の上から顔をだし
「あ! ちょっと大きい声だしすぎちゃった ごめんね〜」
なんて謝り乍らまた字をたどる

やっと終わって拍手すれば
「おもしろかった?^^」
と聞かれ わからなかったとも言えず「うん」と答える母でした
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by rokuzyo38 | 2008-02-07 12:46

shoたろうも1年生
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